教祖は40歳までは、大和国山辺郡庄屋敷村(現在・奈良県天理市三島町)の富裕な農家である中山家の主婦だったが、天保9年(1838)10月、「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」という親神天理王命の啓示があり、家人がそれにしたがう決意をしたことにより、神のやしろと定まった。これが41歳の時であった。
神のやしろと定まった中山みき様を、私たちは教祖(おやさま)と申し上げる。
神のやしろというのは、身体は常の人間と変わりはないが、心は世界中の人間をたすけて
陽気ぐらしをさせてやりたいという親神のお心と全く同じであるお方という意味である。
以来教祖は、親神の思召のまにまに貧のどん底に落ち切り、そこから救済の道を始められた。しかしこの行為は近隣の人に理解されず、20年近くは誰一人耳を傾けて聞く者はなかった。
そのうちふしぎなたすけに浴する人がだんだんに現れ、教祖を生神様として慕い寄る人が増えてきた。それらの人に教祖は、親神の存在とその思召を伝え、さらに親神による救済の筋道をたすけ一条の道といい、その主要なてだてはつとめとさづけである。
教祖はつとめの地歌であるみかぐらうたをつくられると共に、親神の根本の思召を自ら筆を執って書き残された。これをおふでさきといい、1711首のお歌から成り立っている。されに教祖は明治8年(1875)、ぢば定めをされ、人間宿し込みの元の地点を明らかにされ、
つとめを早くするよう急き込まれたのである。
けれども世界一れつは兄弟であるという教祖の教えは時の政府の方針と相容れなかったので、道が伸びるにつれて迫害干渉が高まり、ために教祖は何度も警察に拘引留置されるなど、ご苦労されたのである。
そして最後には、このままではつとめはできず、つとめができなかったら世界一れつをたすける道は開けないという上から、明治20年(1887)陰暦正月26日、御姿を隠されたのである。
立教の最初からこの年まで50年の教祖の道すがらを、私たちは教祖のひながたといっている。教祖の手足となって人だすけにはげむ者の生き方の手本がこのひながたの中にある。従って教祖のことを、ひながたの親と申し上げる。
このような事情で御姿を隠されたが、それはひとえに子供が可愛いゆえ、子供の成人を急き込まれたからであって、姿は見えなくなるけれども、存命同様に元の屋敷にとどまって一れつ人間をたすけるといわれた。これを教祖存命の理といい、天理教信仰の重要な角目の一つである。
また、親神、教祖、ぢば、その理は一つであるとも教えられる。これは大切な教えの根本である。
ところで天理教では、教祖を偲んで十年に一度、教祖の年祭を勤める。
去る2016年1月26日には教祖百三十年祭が執行されたが、教祖は今なお存命の理をもってお働き下さっているのだから、その教祖に喜んで頂くよう、一人一人が人だすけにはげむことが、年祭を勤めさせて頂く上の一番大切な心構えである。
天理教は、世界中の人間をたすけて陽気ぐらしをさせてやりたいという思召から始まった親神
直々の教えである。
親神は最初の啓示において「我は元の神・実の神である」名乗られたように、この世・人間をおつくり下されただけではなく、今もなお、また永遠にその生命を与え、守護される神である。人間にとっては元の親に当たる神であるから、親神と申し上げ、お祈りする時には天理王命ととなえて祈念する。
親神の人間創造の目的は、人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたいというところにあったと聞かされる。しかし心の自由を与えられている人間が、この思召を悟らず、我が身思案にくれているところから、なかなか陽気ぐらしが実現しなかった。
この有り様をいじらしく思われた親神は、旬刻限の到来を待って、教祖中山みき様を神のやしろとしてこの世の表に現れ、世界一れつの人間をたすけるたすけ一条の道をおつけ下されたのである。
「この世は神のからだ」といわれるように、親神のお働きはこの世に充満していると申せるが、一方、親神はぢばにお鎮まり下さるとも聞かされる。このぢばは人間宿し込みの元の地点で、現在、その標識としてかんろだいが据えられている。かんろだいはいわゆるご神体や偶像ではなく、それを囲んでかぐらづとめを勤めるものであり、日々の礼拝の対象となるものである。
このかんろだいを中心に神殿が建てられ、四方に礼拝場がある。
ところで陽気ぐらしというのはどんな生活なのだろうか。それは単なる観念や理想ではなく、互いにたすけ合い、喜んで生きてゆく中に与えられる幸せの境地である。これを「人をたすけて我が身たすかる」とも教えられている。自分だけの幸せだけではなく、自分も人もひとしく親神の子供であり、兄弟姉妹であることにめざめることが、陽気ぐらしの様を見せて頂く上で最も大切な点である。
また「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの」と教えられるように、私たち人間の身体は自分のものではなく、親神から借りて使わせて頂いているもので、本当に自分のものといえるのは、銘々の心だけである。その心の遣い方によって、幸も不幸も現れてくると考えられる。これを心通りの守護という。
そこで天理教の信仰は、我が身・我が家の利益となることを神に頼むのではなく、親神の望まれるような心遣いをすることを通じて、自他共に喜べるような幸せの境地に近づく信仰である。
その過程に病気や悩みごとも出てくるが、これらは親神の手引きであるから、それによって心の遣い方を改めるならば、かえって早く、また確実に幸せになれると聞かされる。
天理教ではおつとめをする時に、まず「あしきを払うてたすけ給え天理王命」と唱えるが、これは銘々の心の中の悪しきを払うて親神のたすけを願う姿勢を現している。
心の中の悪しきというのはまた、心のほこりともいう。天理教には原罪というようなものは教えられておらず、埃のように目に見えにくい小さな心遣いの間違いを日々に払うことが、たすかる上の根本となる。